男性がPTA活動と直に関わるとすれば、その一構成員としてではなく、その役員(会長及び副会長、いわゆる役員)に名を連ねることを意味するかもしれません。いきなり、指揮命令系統の渦中に放り込まれ、空気に馴染むのに四苦八苦する…。飛びこんだ者のみが知るカルチャーショックです。
では、なぜそんな堅苦しく、居心地の悪い場にオトコが身を投ずることになるのでしょうか。
その最大の要因は「しがらみの禅譲」とでもいえるでしょうか。
見込まれて、一本釣りされる。対抗馬はいないのです。女性陣が血眼で捜す場合もあれば、前会長が男性であれば、個人的に曳かれる場合もあるでしょう。この場合は、従って断り辛い。
では、なぜ男性をしかるべき立場(会長?)に据えようと(女性からすれば)するのでしょうか。
この活動、生身の女性の意思がぶつかり合う場であり、「子どものため」というタテマエがわかりにくく行き交う場、でもあります。そんな、やや錯綜した場で、さて、その組織の責任の所在は、と考えます。そこに居てさえくれれば、事足りる?その吹きだまりに…。もろもろの悪口や批判、そんな火の粉をあびるなんて、まっぴらゴメン。
PTA会長に占める女性の割合(内閣府の男女共同参画白書)を見てみると、やはり、三十六道府県で10%未満といいます。
「男性が入るとやりにくい」という声もあったようですが、概ね歓迎しているようです。
聞き役として、相応の姿勢を堅持し、決して結論を急がない。結論を早々に出すことよりも、大切な「何か」を女性は大切にします。
ビジネストークに慣れ親しんでいる男性には、やや違和感があります。その「何か」こそ、PTA活動を通して得られる信頼関係なのかもしれません。互いのラポールトークこそ、男性がムダと思いがちな、女性たちの懇談であるのです。白黒つける二言論の世界ではない。語り合うことこそが目的なのでしょう。男性はそれを微笑みながら見つめるのです。
そんな、傾聴力の涵養につながるのが、男のPTA活動ともいえるでしょうか。