「老いることが幸せな社会」

日本の平均寿命は確実にのびています。まるで、各都道府県が競っているかのようにー。

鳥取を除く都道府県で、昨年を超えた、といいます。
そんなニュースを耳にするたびに、では、「生」の中味はどうなのだろう、と思ってしまいます。

栃木県足利市にこころみ学園という知的な障害をもつ人たちの農場があります。

現在、その農場には130名の利用者がおり、そのうち90歳を筆頭に60歳をこえる人が50名。つまり、ここに働き暮らす人たちのうち、約40%が高齢の知的障害者です。

さて、その農夫たち、人生を晴れやかに謳歌し、日々の仕事が生きがいであることは、彼らの格別な笑顔を見ればわかります。今日も、そして明日もみんなと楽しく過ごせる、そんな日々が約束されているからでしょうか。歳を重ねることは、笑顔の数が増えること・・・。

かつて、伝統社会にはいくつかの美風がありました。例えば、村の長老が収穫物や獲物の分け前を決める、というもの。歳をとることは、まんざらでもないことでした。そんな美風を探すこと、難しいことでしょうか。むしろ、歳をとることは、肩身の狭い思いをすることなのでしょうか。

歳をとると、「若いモンには迷惑をかけたくない」という言葉をくちにする人、決して少なくはないでしょう。

長野県が推進するPPK(ピンピンコロリ)やサクセスフル・エイジング(成功加齢)などは、老年期を経験せず、元気であり続け、ハタに迷惑をかけず、死の直前まで元気であることを、半ば強制しているかのようですが・・・。

人間の尊厳の有無が問われるのは、その人が高齢者になった時ではないでしょうか。何かしらの弱者になった(無論、そうなるとは言い切れませんが)時、そのありのままを受け入れてくれる社会なのか、そうでないのか。安心して他者に依存することを決して負い目に感じることのない社会。

そんな安心社会を支える支柱は、身近な人たちとの弱いネットワーク(weak ties)づくりなのかもしれません。

安部博文

安部博文株式会社エンシュー 代表取締役

投稿者の過去記事

熊本市出身。法政大学政策科学研究科修了。短大、大学、専門学校、予備校の講師として教壇に立つ傍ら、公務員試験本や大学生の一般教養書籍を執筆しています。

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