「五十にして天命を知る」を考える

さて、人生の半分をはるかにオーバーしてみて、どんな心境になるものでしょうか。

この年齢、なかなかに曲者です。人生の週末を意識させてくれます。
従って、いくらか焦りを覚えます。

サラリーマンであれば、定年を意識することになるでしょう。体力、気力、経済力…。堂々巡りで悪循環に陥ってしまうと、良くない。
男性は、特にそんな心の内にある〝マイナス要因″を抱え込む傾向があるので、注意する必要がありそうです。

つい先日、そんな悩みを吐露されました。
その方にとっては、精神衛生上よかったのかな、とも思いました。

内閣府が行った自殺対策の意識調査(二〇〇七年実施)によると、悩みやストレスを抱えた時、助けを求めることについて、「恥ずかしい」、「どちらかといえば恥ずかしい」と答える人の割合は、女性で一一・五%、男性で一九・七%。男性が受診の機会を逃す要因の一つといえるでしょう。

では、否応なく、人生の坂道ともいえる段階に突入した五〇代、そのよすがとなるものとは、何なのでしょうか。

齢(よわい)五〇を過ぎ、マラソンや水泳など、過酷な運動を始める人、意外と多いのです。弱さを感じた時、強さを求める気持ち、よくわかります。

まさに、人生のトランジション(節目)といえます。定年のその時ではなく、すでに五〇代に入り、節目が訪れているのではないか、と思います。

では、節目の時、一体何ができるのでしょうか。

体力も大切な要件でしょう。それとともに、怯懦(きょうだ・臆病で気が弱いこと)との戦いであるように思います。

人付き合いを含むさまざまな活動量が落ち、自然と動きが減退していき、内向き思考になっていく。最もあぶない兆候といえませんか。億劫、といった方が当たっているかもしれません。

勇気をもって、細く、か弱いけれども、しなやかなヒトやコトとのつながりを手繰り寄せることが、五〇代の今こそ、必要なのかもしれません

安部博文

安部博文株式会社エンシュー 代表取締役

投稿者の過去記事

熊本市出身。法政大学政策科学研究科修了。短大、大学、専門学校、予備校の講師として教壇に立つ傍ら、公務員試験本や大学生の一般教養書籍を執筆しています。

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