「つながり」を絶たれた時代に

昨今、経済的格差とともに、「つながり格差」についての論考を目にすることが少なくない。このことにより社会にいくつもの歪みがうまれている、という。ある程度の距離感を保ち、周囲との関係性を築くことは生きていく上で必須の要件のように思えるが、そのことを現代に生きる私たちは放擲(ほうてき)してしまったのだろうか。一方、対照的にそのつながりを大切に維持する人々もいる。よって、その「格差」はさらに広がることになる。

 

では、そのつながり、一体いつごろから衰退へと傾いたのか。その大きな契機として、終戦後の「農地改革」があるだろう。この政策、地域におけるムラ社会の崩壊に相応の役割を果たしたといえる。正と負の側面をもつこの政策だが、「正」として以下のように説明される。戦時中、没落した小作人の多くは都市で安価な労働力として※ダンピングの一翼を担った。日本製品の海外での利潤が軍需物資の購入代金に充当されたわけだから、この循環を断ち切らなければ、また日本は戦争を始めてしまう。イギリスが熱心にこの政策の遂行を働きかけた、という。そんな小作人という零細農民に土地を付与し、経済的・社会的に自立させる、というのが農地改革である。

 

一方、農地改革により地主と小作人のつながりが絶えた。いわゆる寄生地主制の解体であるが、この制度、悪弊ばかりでもなかった。小作人に土地を貸す地主は、小作人を搾取の対象とするのではなく、それを救済することもあったし、小作人の子弟に優秀な者がいれば、その学費を賄うこともあったという。ムラ社会の中で許された範囲の中での裁量といえるだろうが、ヒエラルキー(上下の位階関係)の中にもつながりはあった、といえる。そのつながりを絶ったという意味においては、負の側面と捉えられないこともない。

 

先述の通り、つながりがますます衰退する現代ではあるが、つながりの中で生きている(生きてきた)人々もいる。それは、上位階層の人々だろう。2016年の4月に福沢諭吉のひ孫にあたる方がある新聞に自身の履歴を記述していた。長患いで大学を卒業したのが28歳の時という。新卒として就職し、後に財閥系企業の社長の座に就いた。端からこの事実を見ると、やや特殊な事例であり、特定の人にしか許されないキャリアといえるかもしれない。この人たちにとって、つながりこそ大きなステイタスといえるだろう。つながりが希薄になる社会の中で、それに逆行、いやさらに強化する人々がいることを見逃してはならないのかもしれない。

 

自立や自己責任が声高に叫ばれ、それを遂行することが私たちの責務のように観念せざるを得ないようにも思える時代であるが、こんなことを自己目的化していく中で、私たちはますますつながりを失い、孤立化への道をひた走っている。孤立した己が立場を認識した時、その人は初めて国家や公にその救済を求めるだろう。ただ、そうなる前に、緩やかなつながりづくりを私たち自身が創造する必要があるのではないか。

 

※外国において、輸出国の国内価格よりも低い価格で販売すること。

安部博文

安部博文株式会社エンシュー 代表取締役

投稿者の過去記事

熊本市出身。法政大学政策科学研究科修了。短大、大学、専門学校、予備校の講師として教壇に立つ傍ら、公務員試験本や大学生の一般教養書籍を執筆しています。

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