困った時に相談できる人は必要か

何かと真剣に向き合ったり、人生の節目にある人は、相談にのってくれる人が欲しいもの。

仏典にこんな教えがあります。「心の師となるも、心を師とすることなかれ」。

心から信頼できる師との出会いがあったとしても、我が心を師としてはいけない、ということでしょう。

さて、相談事です。

「今悩んでいることは何ですか?」、「何かわからないことはありませんか?」と問いかけます。

そんな問いに相談事が出てこない。心の内にある棘(とげ)をこちらに吐露できない。
そもそも、そんな習性を持ち合わせていないようにも見えます。

ぶつかり合うような関係を避ける。関係性が濃いほど、素顔の自分は見せない。

そんな関係性を大切に(あるいは、習性として)固持しているかのようにも見える若者たち。そんな彼らは、まるで予定調和が常に念頭にあるように、良好な人間関係を構築してきた、と書きます(あるいは、口頭で述べます)。

中学生から大学生まで、至極うまくやってきた、というのです。

人間同士、私など、今でもいたるところでコンフリクト(意見や感情の衝突)を起こしています。私が子ども、ということもありますが…。

ぶつかりあいの中で何かを学ぶ。生きていく上で反抗や対立がつきものです。何も、誰かとけんかをした、というようなものではなく、自分の思いと噛み合わない何かを解決するために、他者と議論する。容易ではない人生をどう生きるか、反抗の中でその答えを探し出す。反抗の先には、社会への順応(あるいは適応)があるのかもしれません。そのまま、反抗のままの行き方だってあるでしょう。

人に話しを聞いてもらう、相談に乗ってもらう。

このことにとって、積極的に人の話を聞く、ということも大切でしょう。

聞かなければ、聞いてくれない。それが当たり前のことだとすれば、いくつのなっても、相談することはとても大切なことになるでしょう。

安部博文

安部博文株式会社エンシュー 代表取締役

投稿者の過去記事

熊本市出身。法政大学政策科学研究科修了。短大、大学、専門学校、予備校の講師として教壇に立つ傍ら、公務員試験本や大学生の一般教養書籍を執筆しています。

カテゴリー

ピックアップ情報

  1. 「私は友だちが多く、いつも誰かと会話しているので、コミュニケーション能力があると思います」。…
  2. 「ネガティブ」には、自分の否を見つめる前に、他者を槍玉に挙げる場合。また、自らの至らなさゆえに、ある…
  3. 何かと真剣に向き合ったり、人生の節目にある人は、相談にのってくれる人が欲しいもの。仏典にこん…
  4. 働くことは、「手段」ですか、それとも「目的」ですか?この問いを発するかわりに、私が教えている…
  5. コミュニケーションの有無が問われている。それを察した上で、学生諸氏はしたり顔で「コミュニケー…

PAGE TOP