働くことは、「手段」ですか、それとも「目的」ですか?
この問いを発するかわりに、私が教えている大学の学生にこんな質問をしてみました。
Aの仕事は、やりがいがあり、手取り二十万円。Bの仕事はやりがいがなく、手取り二十九万円。Bの方が給料分だけ忙しく、休日も少ない。その他の要素(独身か既婚か等)は加味しない、とします。
さて、あなたはどちらを選びますか?
よく、昨今の学生は「安定志向」といわれますが、彼らの選ぶ仕事はAが圧倒的に多いのです。
確かに、心身の安定という意味では、Aの方がそうかもしれません。Bの仕事の先には、カネやモノがありますが、それよりも大切なものがある、と考えているのでしょう。二十世紀型人間としては、Bを選ぶところでしょうかー。
さて、二〇〇三年に『13歳のハローワーク』という本が出版されました。「好きで好きでしょうがない仕事との出会い」がこの本のテーマともいえるでしょう。一方、好きな趣味の延長線上の仕事に就いた若者を描いた『バイク便ライダーは見た!』という本があります。好きゆえに陥ってしまうワーカーホリックな若者を俎上にのせています。傍から見ていると、悲劇と見えるものかもしれません。この事例は、何も特殊なものではありません。現在の若者たちが自ら解決しなければならない課題のようにも思えます。働くことって、何なのか。
これらAとBの仕事に優劣をつけるつもりはありません。
ただ、中学生までは「職業体験」等のキャリア教育に熱心な学校が、高校ではそういったことをほとんど実践していません。
さて、大学生になり、「仕事を真剣に考えよう」では、あまりに可愛そうに思います。キャリアについて、継続して考える土壌が必要ではないでしょうか。
二十世紀末から二十一世紀始めにかけて、格差が広がった、といいます。確かに、ここ十年(1997~2006)で役員の給料は97%上昇し、従業員の給料は6%ダウンしたというデータもあります(厚労省賃金構造基本統計調査)。
眼前に明るい未来が待っている、とは言い難い現状かもしれません。
ただ、その現状を呑み込むだけの、きわめて受動的な若者たちを生み出す社会であってはならないと思います。