「私は友だちが多く、いつも誰かと会話しているので、コミュニケーション能力があると思います」。
このように誇らしげに言う大学生が多いのです。
では、「コミュニケーション能力」って、どんな能力なのでしょうか。
向き合う誰かに何かを伝える能力もその一つとしてあるでしょう。これを「説明力」とします。
この説明力、なかなか手強いかもしれません。
仮に、オバマ大統領が大統領選挙で再選された、これは事実として、誰でも知っていることでしょう。
では、その勝利の要因とは何ですか?
これを説明するためには、相応な能力が必要になります。これは、会話とは違い、対話といえるでしょう。話し手と聞き手が有機的な関係になり得ます。
次に、向き合う誰かの言葉をしっかりと聴く、という能力も必要でしょう。これを「傾聴力」とします。
「君、ボクの話を聞いてた?」と聞くと、決まって、「聞いてましたよ!」と答える人がいます。
話し手からみると、聞いているようには思えない。そんな人は「傾聴力」がない人です。
傾聴力がある人とは、話し手から見て、「聴いてくれているな」と思える人です。
相づちや笑い、頷きー。話し手を受け止める工夫、一様ではありませんが、聴き上手になること、楽なものではないはずです。
さて、もう一つ、「基礎的な知識」があると思います。
例えば、江戸時代末期の会津藩主徳川容保(かたもり)について知らなければ、幕末の歴史を語り合う際、盛り上がりを欠く対話になるかもしれません。
また、コミュニケーション自体が成立しないかもしれません。これは、今まさに起きている様々な社会事象についても同様でしょう。
知っていなければ始まらないのも、コミュニケーションでしょう。
コミュニケーション成立のための要件として三つ挙げました。
この3つを持ち合わせて、さて人間関係はうまくいくでしょうか。
仮に、大学を卒業した大学生が仕事を始めます。相対しなければならないのは、年の差が離れた職場の先輩たちです。敬語も必要になります。
「コピー機の使い方、わかんないんで、教えてもらえませんか」。
ぶっきらぼうにそんな言い方されたら、先輩諸兄もおもしろくない。
「お忙しいところ申し訳ございません。コピー機の使い方をお教えいただきたいのですが、宜しいでしょうか」
と、かなり丁重に言えば、心象も良くなることでしょう。
企業が考える「コミュニケーション能力」は、結構、奥行きの深いもののようです。
これを要求されているのは、これを欠くことにより、人間関係で悩み、辞めてしまう例が決して少なくないからです。
今までとは違う人付き合い、検討の余地あり、ではないでしょうか。